ネパール大地震が起こった2015年から3年 当時を振り返る

ネパールの生活・習慣

 

2015年4月25日に、ネパールでマグニチュード7.8の大地震が起きました。

日本でも大きくニュースになっていたようなので、ご存知の方も多いと思います。

昨日で丸3年が経ちました。

あっと今に3年が経ちましたが、今思うとまるで夢だったかのように思える出来事です。

3年経った今、当時の様子を改めて振り返ってみたいと思います。

2015年4月25日 11時50分頃 ネパール大地震発生

この日は土曜日でしたので、ネパールの学校・公的機関は休日です。

地震発生が土曜日だったのは、自分の子供の安全を考えれば不幸中の幸いだったと思います。

地震が起きた時間には私と娘は外出していました。

何だか嫌な予感と言うか、地面の底から「ゴゴゴゴ~」という、うなりのような振動を先に感じ、その後地面が揺れ出しました。

頭の中は真っ白状態。

周りから人の叫び声や、物がぶつかったり割れたりする音が聞こえてきました。

とりあえず周りに危険なものがない状態だったので、その場に娘と座り込みました。

かなり長い時間揺れていたように感じましたが、実際は1分も経っていなかったようです。

その後30分くらい経った後にも再び大きい揺れがありました。

ネパール大地震の被害状況

本震後も何度か余震が続きましたが、何とか自宅に到着。

帰宅途中、倒壊している建物をいくつも目にしたので、かなり覚悟して帰宅しました。

幸い、我が家の建物自体は無事でした。

自分の家は無事でしたが、私の住んでいる地域は割と被害が大きかったので心が痛みました。

 

倒壊した近所の家の様子です。

後で気づいたのですが、地震の被害風景を収めた写真がほとんどないんです。

今思うと、子供に地震の怖さを伝えるためにも、もっと被害状況を記録しておけば良かったと思うのですが、当時はそんな余裕もなかったんでしょうね。

それに、被害にあった方を思うと、カメラを向ける気持ちにもなれないものです。

この1枚も、地震後数日たってから写したものだと思います。

 

地震の被害者数

地震での被害者ですが、ネパール国内では死者:8460人、負傷者:14398人となっています。(媒体により多少の誤差有り)

 



地震後のネパールの様子

余震が続く中、各国から救助隊やボランティア団体がネパール入りしました。

ですが、そんな状況はかなり後になった知ったことで、地震発生からしばらくは電気もネットも使えず、情報がほとんど入ってこない状態が続きました。

電話は地震直後はつながりませんでしたが、数十分後には使えるようになっていました。

私の家は無事でしたが(部屋の中は散乱してめちゃくちゃでしたが)、親戚や近所の人が集まってきて、屋内で寝るのは危険だと反対されました。

なので、1週間くらいは庭に簡易テントを作り寝ていました。

1日がものすごく長く感じました。

ネットは2日くらい経ってから使えるようになりましたが、一気に日本の家族や友人から心配のメールが届きました。

日本でも大ニュースになっていることを知り、改めて今回の地震の規模の大きさを実感しました。

逆境に強いネパール人

エリアにもよると思いますが、震災後1週間は電気が使えませんでした。

電気がないと、地下に貯めてある水を電動でくみ上げて使用することができないので、自力で水を運ぶしかありません。

電気、水などのライフラインが止まってしまうと日本では一大事ですが、ネパールの人たちは慣れてます。

もともと一日の半分は停電(当時はまだ計画停電があった時代です)&慢性的な水不足のネパールです。

その点は本当に強いなって思います。1週間くらいお風呂に入れなくたって、嘆く人もいません。

意外だったのが、愚痴をいったり被害を嘆いたりする人が少なかったってことです。

家が倒壊した人の中には、地震発生の翌日から業者を呼んで、すぐに撤去作業をしていた人もいました。(地震後によく作業員が集まったものだと思いますが)

ネパール政府の国民への対応

各国からの救助や支援が増える中、受け入れ体制が万全じゃなく、問題となったのがネパール政府の対応です。

もともと国民に期待されていない政府ですから、ネパール人にしてみたら「ほら、やっぱりね。」という感じでしょう。

海外から届いた物資も、被害者に届くことなく空港に山積みになっていたようです。

集められた募金や義援金もどれだけ被害者のもとに渡っているのか疑わしいです。

そんな中、こういったときに役立つのがネパール人の団結力です。

何よりもネパールの強みは「周りのみんなと助け合える環境を日ごろから作っている」ことだと思います。

政府が頼りない分、国民自身が何とかしなくてはならないことが多いのがネパール。

被害の多かった村に個人的に物資を届けたり、倒壊した家やお寺などを再建するために援助した人や、企業の姿が目立っていました。

今後のネパール地震に備えた避難訓練

ネパールでは過去の歴史を振り返ると、75年周期で大地震が起こっているそうです。

2015年の地震も「そろそろ来る」って噂は聞いていました。

前回の大地震から81年経っていたので、来るべくして来たという感じでしょうか。

75年周期説を信じ、「これで自分が生きている間にはもう大地震はこない!」と喜んでいるネパール人もいるとかいないとか。

2015年の大地震はネパール人にとっても在住外国人にとっても、心に深く刻まれた出来事でした。

毎年この日がくると国内各地で追悼プログラムが行われたり、学校で地震について学ぶ時間を設けるところもあるようです。

 

これは娘が昨日、学校で作ってきた「ダラハラ塔」です。

ダラハラ塔はビムセンタワーとも呼ばれ、カトマンズ市内を見渡すことのできる人気の展望台でしたが、2015年の地震で倒壊してしまいました。

土曜の休日でタワーの観光に訪れていた被害者を思うと言葉になりません。

 

私も地震前に何度か昇ったことがあります。タワー全体の写真が見つからず、入り口の様子のみですが・・・

 

娘の学校では震災後に避難訓練を実施するようになったそうです。

75年周期といえどまたいつ地震が起こるかは正確にはわからないものです。

今でも、本当に数ヶ月1回程度ですが、体で感じるほどの地震は起きています。

非常時に備え、日ごろから訓練しておくことや子供たちに地震についての知識を伝えていくことは、本当に大事なことだと思います。

 

 

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